こんばんは!関西で美容ディーラーをしている梅田美容商事㈱の長谷川です。
最近は立て続けに京都に足を運びました。
京都ってほんと素敵。何度でも足を運びたくなる場所です。
京都在住でエクスマ同期の井筒さん(だいちゃん)に京都の案内をしてもらうというなんとも贅沢な経験もさせていただきました。
清水寺→高台寺→祇園と回るルートは最高でした。その辺のことはまた今度詳しく書くとして、
こうやって親しい人と一緒に過ごす時間を振り返ってみると、心の在り方って大事やなって思います。
自分の心に素直に生きよう。そのほうが断然楽しい。
楽しいとか、嬉しいとかよりも「楽やな」って気持ちが1番に来る。
それが自分の心に素直に生きてるときに実感することなんだと思います。
子供の時って自分の心が感じていることに敏感だからそのまま表に出せる。
だから表情だってころころ変わる。それは「素直」だからです。
表情がころころ変わるのは見ていて楽しいです。
でも、大人になるにつれ、それがだんだんなくなってきますよね。
もしかしたら表情にあまり変化がない人は、自分の心に蓋をしているのかもしれませんね。
私は、自分の心の状態に敏感でいたいし、その一瞬一瞬の気持ちを大事にしたいなって思います。
そうやって過ごしているとめちゃくちゃ楽なんですよね。
そして、そういう状態で過ごせる仲間って普通の仲のよさとは違う感じになります。
なんかホッとできる存在というのかな?うまくは言えないけど、そんな気分にさせてくれる存在。
こういう仲間と一緒にご飯を食べると最高に楽しい時間になりますね。
こういうつながりは本当にありがたいなって思います。
思ってもないことは言わない。思ったことはちゃんと言う。この自然体こそ素晴らしい。
思ってもないのに笑ってみたり、話に乗ってみたりしていると、どんどん苦しくなってきます。
自分の心と行動が別だとしんどいんですよね。歯車がかみ合ってないんやと思います。
口は笑ってるけど、目は笑ってないっていうパターンですね。
口は演技できても、目は脳と直結している部分だから嘘はつけません。
だから「目が泳ぐ」なんて言葉があるんやと思います。
自然体で思った通りにする。思ってもないことは、はなから言わない。
思ったことをちゃんと言う。
この自然さを大切にしていると、苦しさなんてだんだんなくなっていきますね。
気を許すって言葉があるけど、こんな言葉ができるぐらい大人は心と行動が別々になっている人が多いんだろうな。
なんか知らない間にそういうお国柄になっちゃってる気がします。
そんなのしんどいよね。自然体でいくのってステキやなって思います。
自分をちゃんと大切に扱っている気がしますしね。今さらながら自分を大事にしたいです。
自分自身を大切にするためにも、自分に正直でいるのって大切なことだと思います。
気になることは追求して、寄り道だってどんどんしよう。偶然も素敵な産物。
途中気になることは、どんどん追求したいなって思います。
この京都ツアーでも結構寄り道しました。むしろこの寄り道が楽しい。
「ん?何だろう?」って興味を持つのにもひょっとしたら意味があるのかもしれない。
心が気になっているのならそれに従ってみよう。こういう動き方をすると、全部に意味があるように思えてくるし、そうなるととらえ方も変わってきます。
悲観的な気持ちが少なくなるし、自分の心にも敏感になれる。
なんか自分で自分がわからないっていう気持ちが減ってくるんじゃないかなって思うんですよね。
今回の京都ツアーでは、坂本龍馬のお墓に寄り道して、先代の日本を築き上げてきた偉人の凄さに改めて触れる機会ができたし、そのお墓から見える京都の素敵な景色にも出会えました。
坂本龍馬以外にも桂小五郎や高杉晋作など動乱の時代を彩った偉人が同じ場所で眠っていました。
それを考えるとすごい場所ですよね。偶然の出会い、最高です。
本当にふらっと立ち寄ってよかったなって素直に思えた瞬間です。
どうでもいいことにはいちいち反応しない。アクションも起こさないし、口にも出さない。
自分の心に正直に生きるということは思ってもない反応はしないということです。
愛想笑いや気遣いで思ってもないことを口にすることもしないし、どうでもいい人には反応もしない。
冷たく感じるかもしれないけど、それが自然体だからですよね。
心にもないことを口にしたりすることは優しさではないと思います。
関心がないならないでいいと思っています。変に態度をとるよりよっぽどそのほうがいいはず。
正直に生きるってそういうことだと思います。営業マンとしては失格かもしれないけど、まっすぐで嘘をつかずに思ったことをちゃんと口にする(もちろん限度はあるけどね)人のほうが良くないですか?
自分ならそういう人のほうが信じれます。だから自分もそうありたいなって思っています。
子供にそうなって欲しいと願うなら、まずは自分がそう生きよう。
子供たちと一緒にいると、「素直でいてほしいな」とか「まっすぐ生きてほしいな」とか「自分のやりたいことやってほしいな」とか「のびのび育ってほしいな」とかいろんなことを思います。
親ですからね、自分の子供たちの幸せを望むのはごく自然なことです。
でもね、子供たちに願いを託すんじゃなくて、まずは自分がそれを体現する。
自分自身が子供たちに願っているように自分がそうやって生きてみる。
それが1番じゃないかなって最近思います。
子は親の鏡。
親の背中を見て子は育つ。
これはしぐさではなく、「生き方」のことですよね。
自然体で笑って自由に愛情いっぱいで生きる。
子供にそう望むなら、まずは自分がそうありたい。
今はそういう気持ちで過ごしています。
仕事も人間関係もなんでも1番土台に来るものって「愛情」ですよね。
厳しさも優しさも全部「愛情」ありきです。
子供を怒るときだってそう。
「愛情」があれば、「叱る」になって、それがなければ「当たる」になります。
全てのベースは「愛情」があるかどうか。
エクスマ塾でいろんなお話を聞いたり、気付きを得て、素直に今はそう思います。
そんな「愛情」を感じる人たちとつながって生きていきたいな。
仕事でも人間関係でも、自分のベースはここです。気持ち全開で生きてます。
理屈で生きてません。それに思ったことしか言いません。ちゃんと自分らしく生きたいから。
損得なんかじゃなくて、愛情感じるつながりを増やしていきたいな。
それがきっとお金がいくらあっても買えない人生の宝物なんだと思います。
さぁ、来年はいよいよ年男です!!(丑年)
めちゃくちゃいい年にしよう!
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