子煩悩やねって言われるたびに思う「当たり前」が「特別」に変わった瞬間のこと

自分のこと

こんにちは。関西で美容ディーラーをしている長谷川(はせけん)です。

「子煩悩やね」

「子供が好きなんやなぁ」

「いいパパさんしてるね」

最近よく言われます。

なんかこう言われると正直照れますね。

いやいや、そんな…なんて日本人っぽいことを言いそうになりますね。

でもね、子供との時間をめちゃくちゃ大事にしてるのにはやっぱり理由があるんですよね。

「当たり前」が当たり前じゃなくなる出来事が考え方を変える

私は1度妻と離婚しています。

ちょうど29歳の時です。

いろいろあったよねー。

ここは話しても長くなるし割愛しますね!

離婚って本当に寿命縮むよね。みんなが口々にいうことがほんまによくわかる。

本気で眠れない日々が続いたし、変な汗が止まらない毎日でした。

夫婦のことは夫婦にしかわからないっていうけど、本当にそうやなって思うなぁ。

もう子供たちがいたけど、喧嘩ばっかりで夫婦仲が最悪でどんどん離れての離婚。

子供がいるのになんで??ってみんなに言われたし、考え直せってさんざん言われたけど、

こういう時ってほんと聞く耳持たずなんですよね~。

反論されればされるほど決意が固くなっていくという、超あまのじゃくな感じでした笑

離婚後は養育費払ってしばらく生活してました。

そんなお金もないから、めちゃくちゃ安いけどめちゃくちゃ治安悪いところに住んでた。

公園でたむろしてるのが、だいたい40超えてる人たちで、向かいの家の喧嘩がやば過ぎて何回か警察呼んだことあるよ笑

離婚の大変さはめちゃくちゃ身に沁みて体感してます。

法律的なこととか子供のこととかいろんな手続きがあったしね、その辺は人があんまりしない経験めっちゃしたと思う。

役所でも婚姻届けはおめでとうございますっていわれたけど、離婚届は無言なんやなって思ったのを覚えてます。そらそうかって感じですね。

離婚後は、もちろん子供たちとは離れて生活。月に1度子供たちと会う約束。

もうね、そのために生きてた。

自分にとっては特別なことなんです

帰ったら子供がいる。

おかえり~って駆け寄ってくる。

休みの日は子供と遊ぶ。

自分にとってはこれは「特別なこと」

月に1回子供らと会って、お別れしてからさんざん泣いてまた次の日を迎える。

この繰り返し。めちゃくちゃ辛かったなぁ。胸が張り裂けるっていうなら張り裂けまくってたはず。

当たり前だったものが「特別」に代わりました。

その後、いろんなことがあって今は離婚した妻と復縁して家族がもとに戻ってます。

だから、今子供たちと過ごす時間は自分にとってはもう全く「当たり前」じゃないんですね。

何においても優先したいという気持ち

遊んで遊んで~という子供がめんどくさい。

子供がおるから好きなことができない。

そんなことを耳にすることもあるけど、自分にとってはすべてにおいて最優先したいのは子供。

子供と一緒にお話して、子供が興味あることを一緒に体験して、たくさん一緒に過ごす。

これは、自分にとっては何より大事なことになってます。

だって、もしかしたらこうなってなかったかもしれなかったから。

今こうやって子供とまた過ごせていることは奇跡。

そして復縁してから生まれた3人目は、その奇跡から生まれた結晶。

そう思うと一緒に過ごす毎日をかみしめたいし、「お父さ〜ん」と寄ってきてくれて甘えてくれる

子供たちをぎゅーって抱きしめたいって思います。

子供はいずれは大きくなって巣立っていくもの。

だから、今の時間を大事にしたいな。手を止めて目を見て体で話を聞きたい。

自分のことのように喜んで、自分のことのように悲しみたい。

イライラせずに、怒らずに客観的な視点でアドバイスをして導きたい。

甘えてきたら、何回でも全力で答えてあげたい。

そんな気持ちです。だから、虐待のニュースとか見るとほんまに涙が出そうになるよね。

子は宝。いつも携帯ばっかり見てるって思われたくない。

自分の価値基準は昔とは大きく変わりました。

「子はかすがい」とはまさにこういうこと

「子はかすがい」ってことばがありますよね。

これの意味は知ってますか?

「子はかすがい」

夫婦仲が悪くても、子への愛情のおかげで夫婦の縁を切らずにいれるということ。 子が夫婦の縁を保ってくれるということのたとえ。 「鎹(かすがい)」とは、材木と材木とをつなぎとめるために打ち込む、 両端の曲がった大きな釘のこと。

引用元:古事ことわざ辞典

かすがいっていうとでかいホッチキスの芯みたいなやつですね。

子供が原因で…というマイナスな意味合いではなく、私の場合は子供のおかげで縁が切れなかった。

まさにそんな感じです。

子供たちと月1で会う時は、妻から子供を預かるのではなく一緒に過ごすことが多かったです。

だんだんと「自分がバカだったな」…「あの時は何も見えてなかったよな。」

そう思うようになっていくんですよね。あの時はお互い一生懸命だった。精一杯だった。

そうやって話し合うたびに、あの時は全く見えてなかった相手の気持ちが痛いほどわかってくる。なんであの時わからんかったんやろ?ってことに気がつく。

そして話し合って、やり直そうかってことに。

いろいろあって衝突して大変な思いをさせても、こうやってまた元に戻ってくれた妻には感謝しかないな。

自分はちゃんといい旦那さんになれてるのかな?毎日お弁当作ってくれたり、サッとアイロンをかけてくれてたり、好きなおかずを用意してくれたり、夜に一緒に食べようと思って…ってお菓子を買ってきてくれたり、本当にいつもありがとうって思う。

義理の父親に2回も結婚の挨拶に行ったのは私ぐらいじゃないかな?

「次はちゃんとやっていけるんやろうな?」と言われました。

離婚後も子供たちが楽しく過ごせていたのは、義理の両親と妻のおかげ。

本当にありがたいなぁって気持ちでいっぱいです。

今では普通に何事もなかったように接してくれる義理の両親には本当に感謝しかない。

「健ちゃん」と呼んで気軽に話しかけてくれると今でも涙が出そうになります。

妻とはお互いがお互いのことをよく理解して今は何でも話し合うようにしてるから、今はめちゃくちゃ仲がいいです。一回壊してからやり直してるんでね、ここは当然ですよね。

妻がいて、子供がいて、毎日一緒に過ごす。

それを当たり前って思ってしまうと「感謝の気持ち」が抜け落ちてしまいます。

「当たり前」と「感謝」はほんまに相反するものやと思うなぁ。

些細なことも特別なことだって思いたい

コロナの影響で今まで「当たり前」だったいろんなことが「困難なこと」になってます。

でもね、これもいい機会やと思います。

当たり前のように過ごしていた日々が全部貴重に感じるってことですもんね。

お祭りも、花火も、旅行も、飲みに行くことも、人に会いにいくことですらも… 

全部がものすごく貴重なことだったんだってみんな思ってるはずです。

貴重なことって思うと、なんか考え方変わるでしょ?

もしコロナが終息したら、こんなことしたいな。

来年は今年できなかった分夏休みは2倍楽しみたいな。

あれもしたいし、これもしたいし、忙しくなるよね。

そんな気持ちで過ごすと、いろんなことが「特別」に感じます。

毎日過ごす日常ですら「特別なこと」であふれてるのかもしれない。

偶然なんてないのかもしれない。

いろんなことはつながっていて意味があるのかもしれない。

そう思いたいですよね。

誰かが「コロナのおかげで…」っていうフレーズを使っていました。

「コロナのせいで…」っていうと見えていたものも見えなくなっていくけど、

「コロナのおかげで…」っていうと見えていなかったものが見えるようになる。

本当に些細なことにも感謝して過ごしたいですね。

とりあえず、今日も帰ったら子供たちをぎゅーっと抱きしめたいなって思います。

結構拒否られるけどね!

全力で羽交い締めにします笑

この記事を書いた人

前職おくりびとの美容ディーラー「はせけん」こと長谷川健太と申します!
美容室での商品販売の活性化のサポートをしたり、SNS活用術の話や働き方の話などオールマイティーにこなしてます。
取引あるなし関係なく、お困りごとや相談事があればどんなことでもお受けします。葬儀屋を経験したからわかることがあります。美容師という仕事にもっと誇りを持ってもらえるよう、美容業の価値を高める発信をしていきたい!!

ジブリとカメラとアベンジャーズをこよなく愛する中年です。
最近ハムスターと金魚を子供たちと一緒に飼い始めて溺愛中。

エクスマ96期生です!

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神戸で働く元葬儀屋の美容ディーラー。美容業界のT.M.Revolusionこと梅田美容商事の長谷川健太(はせけん)による美容師さん応援ブログ

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